|
|
リンク栃木ブレックス 〜優勝への軌跡 |
2010/05/19掲載 |
2010年4月12日。東京の国立代々木競技場第二体育館に「レッツゴー栃木」の声援が響き渡る・・・
この日、リンク栃木ブレックスは日本バスケ会において新たな歴史の1ページを築いた。
創部3年目(JBL昇格2年目)のチームが、プロチームとして初の日本一に輝いたのだ!
4月17日には優勝パレードが行なわれ、集まったファンの数は約1万人となった。
多くのファンに愛されているチームであることが伺える1日であった。
■ 開幕戦に連勝し好スタート
10月3日に開幕した2009-2010シーズンは、昨シーズン最後までプレーオフ出場を競い合っていた因縁のトヨタ自動車アルバルク戦からスタート。
昨シーズンは、トヨタ自動車アルバルクとの直接対決に連敗し、プレーオフ出場を逃し5位となった。
BREXは、開幕戦に120対88で勝利すると、続く第2戦目は82対81の接戦に勝利して連勝する。
■ 田臥選手の戦線離脱
開幕戦に連勝し、トヨタ自動車アルバルクに昨シーズンの雪辱を果たしたBREXだったが、そこには元NBAプレーヤーの田臥勇太選手の姿はなかった。
田臥選手は、怪我で練習にも参加できない状態であり、筋トレなど体力づくりをするしかなかった。
田臥選手の復活は、17戦目の11月28日東芝ブレイブサンダース戦からであったが、安斎選手や山田選手などの活躍でチームの順位は上位をキープ。前半戦を11勝9敗で折り返すことになった。
■ 外国人選手の交代劇
シーズン前半戦終了後に、オコーサ選手との契約が解除されたため、後半戦開始直後は、外国人選手がメリット選手だけとなる厳しい試合が続いた。
しかし、1月24日(日)のパナソニックトライアンズ戦ではメリット選手が40分フルタイム出場し、27得点、15リバウンドの活躍を見せるなど選手たちの頑張りが目立った。
そして、平成22年1月30日の三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ戦から新外国人選手のアボヤ選手が参戦することになった。
チーム合流当初こそ、チームにフィットするのに苦労している様子だったが、試合を重ねるごとに出場時間と得点が増えてきてチームに貢献してきた。
■ プレーオフ出場
3月20日(土)の三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ戦に勝利したリンク栃木ブレックスは、JBL2年目で初のプレーオフ出場を決めた。
シーズン最終戦となったホームゲームは、栃木県民DAYとして県章のついた緑色のユニフォームを着用して登場すると、日立サンロッカーズを相手に連勝し2位でシーズンを終えた。
セミファイナルの試合会場は、代々木第二体育館とブレックスアリーナ宇都宮で行なわれたが、リンク栃木ブレックスの試合会場は、ブレックスアリーナ宇都宮となる。
そのため、試合運営は公平な立場でJBLが主催するが、会場に訪れたファンはブレックス一色となった。
■ セミファイナル
4月3日からの3連戦で行なわれたパナソニックトライアンズとのセミファイナルだったが、不運が舞い降りてしまった。
川村選手が3月31日の練習中に腰を痛めてしまい、金曜日の朝は立つことができないほどであった。
川村選手を欠くリンク栃木ブレックスは、81対91と初戦を落としてしまう。
後がないリンク栃木ブレックスは、怪我で体調不十分な川村選手が痛め止めの注射を打ってスターターとして出場。
「自分がプレーしないことで悔しい結果になり後悔する終わり方にはしたくなかった。」「出来る限りの処置を施してもらった。」という川村選手は、注射・座薬・錠剤と使える痛め止めは全て使いコートに立っていた。
その結果、84対72で勝利し1勝1敗なり、第3戦目に全てを託した。
4月5日のセミファイナル最終戦は、パナソニックトライアンズのペースで試合が進み、第2Qにはこの日最大の19点差まで離されてしまう。
しかし、ここからリンク栃木ブレックスの反撃が始まり、徐々に点差を詰めて第4Q残り1分にアボヤ選手のダンクシュートで同点に追いつく。
パナソニックトライアンズにフリースローを決められ再び1点差と離されたが、タイムアウト後に川村選手の放ったシュートが決まり逆転勝利でファイナルへの出場を決めた。
■ ファイナル
4月10日から行なわれたファイナルは、3連覇を狙う王者アイシンシーホースとの対戦となった。
試合会場を代々木第二体育館に移したリンク栃木ブレックスだったが、応援ツアーのバスが追加されるほど、会場へ集まったファンの数と声援はアイシンシーホースを圧倒していた。
試合は、第1戦目を88対77、第2戦目を80対72とリンク栃木ブレックスが連勝し、優勝に王手をかける。
4月12日の第3戦目は、一進一退の攻防となり試合の行方は最後まで判らない状態だった。
55対58で迎えた残り時間7秒。最後のチャンスを掴むためタイムアウトを取ったウィスマンHCは、選手に指示を伝える。
ボールを受け取った川村選手は、苦しい状況の中から、スリーポイントシュートを放つ。綺麗な弧を描いた川村選手のシュートは、試合終了のブザーがなると同時にゴールへと吸い込まれていった。
ブザービーターが決まった瞬間。歓声をあげて喜ぶブレックスファンたち。また、鳥肌が立ったものもいただろう。
試合は、58対58で延長戦へ突入した。
同点に追いついたリンク栃木ブレックスの勢いは止まることなく、71対63のスィープ(3連勝)で優勝を飾った。
■ 知事表敬訪問・合同記者会見
4月12日の優勝決定から数日がたった4月16日には、山谷社長、ウィスマンHC、選手たちが栃木県知事のところへ表敬訪問にやってきた。
福田知事は、「劇的な勝利に感激した。県民を代表して経緯と感謝を申し上げたい。」と延べ、翌日の優勝パレードに合わせて県庁舎の窓ガラスにVサインを作る計画があることを話した。
会談後、福田知事は選手たちに一人ひとり握手をしながら労をねぎらった。
合同記者会見で山谷代表は、「トロフィーは我々が頂いたというよりは、県民の皆様がいただいたものであると感じている。この日本一という称号を栃木県のものとして今後更なる栃木県、チームの発展のために生かして行くことが出来たらと思っていいる。」と挨拶した。
ウィスマンHCは、「このグループと一緒に戦ってこれたことを誇りに思っている。
35年間のコーチ経験があるが、このチームは、本当に素晴らしい選手たちが集まっていると言っても過言ではないと思っている。この素晴らしいメンバーが一つのチームとしてまとまってビクトリーを勝ち取ったいうことは私のバスケットボール経験の中でも本当に記憶に残る出来ごとだと思っている。」とコメントした。
また、選手それぞれがコメントし、スタッフやファンに対しての感謝の気持ちや現在の気持ちを伝えた。
※選手それぞれがコメントはこちらから
■ 優勝パレード・優勝報告会
4月17日には、宇都宮商工会議所青年部が主催する優勝パレードが行なわれた。
宇都宮市中心部で大規模なパレードが行なわれたのは、1962年に作新学院高等部の硬式野球部が史上初の甲子園春夏連覇を飾って以来の38年ぶりだった。
パレードは午後1時半に県庁を出発し、宇都宮市役所を経由してオリオンスクエアへ向かった。
パレードの出発点となった県庁舎では、窓ガラスに「Vサイン」が作られチームを祝福した。
パレードを見ようと集まったファンの数は約1万人となり、パレードのコースとなった道路両側を埋め尽くしていた。
選手たちはお揃いのチャンピオンTシャツを着て登場。
集まったファンたちは、オープンカーに乗った山谷代表とウィスマンHC、そして選手を乗せたトラックに向かって大きな歓声を上げながら手を振り、選手たちもそれに答えた。
午後2時からは優勝報告会がオリオンスクエアで行なわれ、県スポーツ功労賞や市長特別賞が贈られた。
■ シーズンエンドパーティー
4月17日の夜には、ファンクラブ限定のシーズンエンドパーティーが行なわれ、ファンと選手たちの交流が図られた。
パーティーでは、川村選手がMCを務めるクイズゲームが行なわれるなど、終始和やかなムードであった。
飾られた優勝トロフィーは、触ることができ、ファンたちは思い思いに触れ、記念写真を撮ったりしていた。
■ 来シーズンに向けて
来シーズンに向けて、チームも動き出している。
田臥選手は早々と来シーズンもブレックスでプレーすることを決め、既に契約合意に達し、運営会社である(株)リンクスポーツエンターテイメントの山谷代表は、経営面で創立以来初の黒字化を達成するなどが評価され、2年連続で日本トップリーグ連携機構から「トップリーグトロフィー」を受賞している。
また、トーマス・ウィスマン氏が日本代表のヘッドコーチに就任したことに伴い、新しいヘッドコーチが就任することになる。
5月17日には、平成22年度の日本代表候補選手が発表され、BREXからは田臥選手、川村選手、竹田選手、田中選手、伊藤選手の5名が選ばれている。
9月17日から開幕する2010-2011シーズンに向け、更に飛躍を続けていくであろうBREX。 V2を目指し頑張ってもらいたい。GO!BREX。
|
|